4月7日
「去年の今日はオレらまだ会ってないんだよなー」
その言葉のぼやくような調子が田島にしては珍しかった。
満開を誇る桜の木の下、田島は首を九十度上に傾け、薄いピンクに見入っていた。
「最初に会ったのは、部活見学のグラウンドだよな」
問いかけというよりも声に出して確認をしただけのような田島の声音に、阿部は答えるべきか迷って、見送った。
今日は風が強い。
見事に開いた花が散ってしまうのは少しもったいなかったが、散り際はより美しい。
つと、田島が顔を正面に向け、阿部に向き直る。
「オレは知ってたけどね、阿部のこと」
田島の声をかき消すように風が吹き抜けた。大量の花びらを巻き上げサアっと音をたてる。
木の真下に立った田島が薄いピンクの幕に覆われた。やわらかい花弁に音が吸い取られる。
阿部は田島が何を言ったのか聞き取れず、聞き返した。
「ハ?なに?」
「んーん、なんでもね」
取り逃した言葉は戻らなかった。咲いた側から散っていく花のように儚い。
阿部は次の言葉は逃さぬよう耳を澄ました。
また風が吹く。
花弁に埋もれてしまいそうな田島を見失わないよう目を凝らした。
**
一年と一ヶ月前、
番号がズラッと並ぶ掲示板に自分の番号を見つけて、ちゃんと十回確かめて、隣にいた知らない人にだってきいて確かめて、それからマッハで家まで走った。
「ひいじい!ニシウラ受かった!!」
スパン!と大きな音をたてて勢いよく襖を開けると同時に飛び込めば、部屋の主は驚いた様子も見せず、柔和な顔をさらに弛ませにこりと笑ってくれた。
「おお悠一郎、よかったなあ。奇跡だなあ」
いつもなら必ずどこかから、襖は静かに扱いなさい!と怒られるのに、今日ばかりはそれもない。
「おお!キセキだ!ひひひ」
「なんだ悠、他にもいいことあったのか?」
「え!さすがひいじい!なんでわかった?!」
「おまえのひいじいだからな」
冗談めかして言って、ひひと笑う。ひいばあちゃんがオレとひいじいはよく似てるって言ってたのを思い出した。
「そっか」
ひひ!とオレも笑う。
「さっきな、じいちゃんが畑にいたから報告に行ったんだ。したらさ、うちの畑からニシウラのグラウンドが見えんだよ」
「ああ、見えるかもしれんなあ」
「ちょうど学校側からグラウンドをジッと見てる奴がいてさ!すんげーこわい顔でにらんでんの!誰もいないグラウンドを」
「ほう、そいつが気に入ったか」
「うん!あいつ、相当野球が好きだよ。ああいう奴オレ大スキ!甲子園行くからな!ひいじい、楽しみにしてて!」
**
今年も見事に花をつけた大木を見上げていた背中に、独り言のような頼りない声を聞いた。
「オレは知ってたけどな、田島のこと」
阿部が届かなくてもいいと思っていた呟きを、田島はきちんと拾った。
「ああ、シニアだろ?阿部シュミだもんなー。オレ野球やっててよかった!」
田島が笑いながら振り向いたとき、一層強い風が吹く。
少し離れた場所に立った田島と阿部の間を暖かい吹雪が吹き抜けた。
「んー、まーなー」
ピンクのベールの向こうで阿部が曖昧に言葉を濁した。
**
一年前の一日後、
入学式後のホームルームは、当然のようにクラスメイトの自己紹介が始まり、それが終われば、本日のノルマ達成とでもいうように、すぐに解散となった。
さすがに今日は栄口は帰ると言っていたが、オレはマウンドの仕上げをするつもりでいた。
もうすぐ部活動見学が始まる。
適当に昼飯を食べてから始めようと思いながら教室を出たところで、どこからか歓声のようなどよめきを聞いた。
(なんだ?)
声のしたほうを振り向くと、端の教室を覗きこむひとが廊下まであふれていた。何事かと気になり、野次馬の群れに加わる。
自分の教室から二つ目のクラスだから9組だろう。
ちょうどその教室の前で足を止めた時、再び歓声が上がった。さっきよりも大きくなってる。距離の問題ではないはずだ。
一度の歓声が人を呼び、自分のようにどんどん人が増えていた。
「なんだ…?」
中を見ようにもちょっとした人の群れに気後れし、さっきと同じ疑問を今度は無意識に口に出していた。
「なんかすっげージャンケン強いヤツがいるらしーよ」
「ハ?」
隣にいた人が親切にも独り言の疑問に答えてくれたわけだが、そんなことよりも見ず知らずの他人に急に馴々しく話し掛けられたことのほうに驚いた。
「えっ!オレなんか悪いこと言った?!」
咄嗟に睨んでしまったようで、あからさまにびくついた隣を改めて見直せば、その顔におぼろげだが見覚えがあった。
(確か、水……さわ?だっけ?)
ふにゃりとした印象の前髪真ん中分けの男は、さっき同じ教室で自己紹介をしていたことを思い出した。
「ああ、いや…サンキュ」
「いえいえ、あーよかった」
ミズサワは見た目の印象通りふにゃりと笑う。
おおおー!
また一段と大きくなった歓声があがった。
「ほんとにすごいんだよ、そろそろクラス全員を勝ち抜く」
「へえ」
(ジャンケンねえ…)
ジャンケンに明確な実力差があるとは思えない。
例えば、何度も同じ相手と繰り返すのなら、傾向や癖に対応できるという可能性はあるかもしれない。
けれど、入学式の今日、初対面の相手との一発勝負だ。
(相当、運のいい奴なんだな)
それほど興味はなかったが、好奇心に負け、人の間から中を覗き込んだ。
人垣の中心には小柄な男が教室の窓に背を向けて立っている。
ちょうどそいつの掌が相手の拳を退けたところだった。
再びあがる歓声に応えるように表情が崩れ、鮮やかな笑顔を浮かべる。
「次で最後だぞ」
近くで誰かがそう言う。押し殺したような声だった。
次の対戦相手が前に立つと、浮かんでいた笑顔がスッと引き、表情が引き締まる。
たまたま立っていた位置が正面から少しずれていて、その変化を目の当たりにした。
ピリっとした空気を彼が纏い、その空気が徐々に教室を支配していく。
瞬間、教室のざわめきが止む。
これから始まるのがジャンケンだとは思えないほど彼の目が力を帯びた。
(ああ、もしかしたら)
マウンドに立つ投手は、いつもこんな奴らと対峙しているのかもしれない。
そんなことをふと考えた。
何度目かに上がったいままでで一番大きな歓声が、勝負の行方を知らせた。
(それにしても)
いまこのクラスの中心にいる男をどこかで見たことがあるような気がしていた。
しばらく思い出せなかったその答えに至ったのは、部活動見学が始まった日のグラウンド。
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唐突に風が止んだ。
視界を遮っていた花びらが重力に従い静かに舞い落ちる。
向かい合い、じっとお互いを見つめていたことに気付いたのは、どちらが先だったか。
田島は笑い、阿部はバツが悪そうに目を逸らした。
「帰るか」
「そうだな」
「今年もよろしくな!」
「ああ、よろしく」
二人は大木に背を向け歩き出し、またすぐに風が吹き始めた。
声にならない呟きを風が拾い届ける。
((今年も来年も、その次も、またこの桜を見に来られるといい))
残された桜だけがそれを受け取った。
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※埼玉の公立高校は毎年3/7あたりが合格発表で、4/8が入学式です。
そのスケジュールを踏まえた上での、4月7日です。
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HAPPY BIRTHDAY!! dear どん 2007
去年の誕生日祝いに書き始めて、1年越しの極道更新。ほんとにすみませんでした、おめでとう!>私信
この話の流れで読むとわかりやすいスピンオフ →→4月7日ex