「ちわーっす!」
部室に入ると、先客が一人、着替えている最中だった。
「うっす!水谷」
練習着から顔を出した田島が振り返って挨拶を返す。
「あれ?田島ひとり?」
「うん、ソージ当番と居残り!」
主語はないけれど、泉と三橋のことだろうと当たりを付けた。たぶんはずれてはいないだろう。
田島と二人になることなんて珍しい。
せっかくだから、ずっと聞きたかったことを聞いてみようと声をかけた。
「ねーねー、田島ってジャンケン強いよね、なんかコツとかあんの?」
「ジャンケン?や、別にフツーだよ」
まーね!と返ってくるとばかり思っていたのに、キョトンと首を傾げられた。
「え?」
首を傾げたいのはこっちの方だ。
「だってほら、クラス全員抜きしてたじゃん!」
あの活躍はまだ記憶に新しい。さすがにそんな器用な夢は見ない、はずだ。と思う……。
「あ?あー、あれ見てたのか?」
すぐに認めた田島に、よかった夢じゃなかったと、こっそり胸を撫で下ろす。
けれど、それならば、田島の主張は一致しない。
「うん、見てた。なにケンソン?」
謙遜する田島、というのもイメージになかったが、とぼけているような感じでもない。
「ケンソン…?」
田島は、心底不思議そうな表情で、オウム返しに訊く。
言葉を間違えて使っているつもりはないけれど、言葉の意味を正確にわかりやすく説明できる自信もなかった。
「あー、やー、えーと、…強かったじゃん!マグレじゃないでしょ」
出会ってまだ一ヶ月と少し、それだけでも田島にマグレはないということくらいはもうわかっている。
確信を持って、そう訊いた。
「うーん、あれはやると疲れるからさ、絶対負けたくないときしかやらない」
「疲れる?」
軌道修正したはずの会話が、再び獣道へと迷い込む。
「だから、勝率は普通」
危うくそのまま会話が終わってしまいそうなところをなんとか食い下がって突っ込んだ。
「え?何をやると疲れるって?」
田島の言う「アレ」の指すところがさっぱり掴めない。
「ジャンケンの必勝法」
ケロリとした声音がやっと、できれば最初から聞きたかった単語を示した。
「あるんじゃん!それだよー!聞きたかったのは〜。どんなの?どんなの?オレにもできる?」
「やろうと思えばできるよ」
「まじで!教せーて!」
「兄ちゃんの部屋にあったマンガで読んだんだけどさ」
「ん?」
またいきなり雲行きがあやしい。
「マンガ?」
「そ、マンガ。知らね?」
田島が口にしたタイトルは知っていた。
「え?知ってるけど…?」
友達に借りて読んだことがある。
「……あっ?」
なんでいま急にマンガの話なのかとぼんやり考えて、恐ろしいことに思い当たった。
「え!?まさか!」
確か、あのマンガには主人公たちがジャンケン大会で勝ち抜くエピソードがあった。
「やってみたらできたから」
田島は、カメハメ波をあっさりとやってのけた悟空のような気軽さでとんでもないことを言う。
にわかには信じがたい。信じがたいが、相手は田島だ。
「でもやっぱ疲れるから、いつもはムリ」
「いやいやいやいや」
そういう問題じゃないだろ。
言うのが田島じゃなければただのおもしろくない冗談なのに、田島が言えばたとえ本人が冗談のつもりだとしてもつい信じてしまいそうになるから不思議だ。
そしてこの場合決して冗談なんかじゃなく、田島が「できる」と言えばできるのだ。
「ちわ」
どう反応すべきか迷ってるうちに背後で扉の開く音がした。
「おー阿部だ!」
振り返った田島が破顔する。
部室に入って来た阿部が田島の隣に立った。
それを見て、つい声が出てしまった。
「あ、」
ああ、我ながらどうしようもない。
気付かなくてもいいことに、気付かない方がいいことに、気付いてしまった。
ひと月前、ロッカーの場所取りをした時のことを思い出す。
冷静になってよく考えれば、ロッカーなんてどこだってよかった。
その証拠に、打ち合せが長引いてその場にいなかった花井・栄口・阿部の3人は、適当でいいよな、と手前から勝手に決められた。
ただその日は、直前にやった缶ケリのエキサイトが余韻を引いていて、みんなのテンションがおかしかった。もちろん、オレを含めて。
気付けば、ロッカーの場所を決めるためのジャンケン大会が始まっていた。
まずは二・二・三で別れてそこで勝った三人が決勝を行い、好きな場所を選べる順番を決めた。
その時もやっぱり感心したのをよく覚えてる。
ほんとに田島はジャンケンが強い。
「オレここ!」
奥から埋まるだろうと思っていたロッカーは、勝ち抜いた者の権利により、何故か手前から埋まった。
ぜったいまけたくないときにしかやらない
さっき田島はそう言った。
「水谷!最初はグー!」
不意をつかれたかけ声に、つられて拳を突き出す。
「じゃんけんぽん!」
勝敗は火を見るより明らかだ。タネを知っていても対応できるものじゃない。
「あれ?読んだんならやり方は知ってるだろ?ちょっとやってみ!」
「いや、だから…」
どう言えば、当たり障り無くかつ端的に、お前が人間離れしてるのだ、ということが伝わるだろう。
「何の話?」
言葉を選び切れずにいたオレに、思わぬ所から救いの手が差し伸べられた。
阿部たまにはいいやつ!
「水谷がジャンケンに勝つコツ知りたいって」
「ああ、田島ジャンケン強いよな、なにやっぱコツがあんの?」
「強くはないけど、あるって言えばある」
「ふうん…?それオレにもできる?」
「できるよ」
「できるかあ!!」
「えっなに?!どーしたの水谷?」「うっさい!急に叫ぶな!」
パチリと瞬きをした田島と眉間に皺を寄せた阿部から同時に何を言われようと、いままで言えなかった一言が言えたってことだけで、オレは充分満足だ。
ふう、すっきりした!
**
4月7日extra
2007-06-01 ヨツユビ
「で、どういう技なの」
「最初はグー、で始めるのがコツな!んで、グー以外の手を出す時は、握ったとこから初動動作があるだろ?集中してそこを見て何出すか見極めんの、やりすぎると疲れるけど、勝てるよ!」
「あーーーああ、あーーーー……」
図らずも水谷と阿部の心がピタリと重なった瞬間。
(@H×H)