ラビット☆タカヤ No.7     ※2009-03-31 更新部分へ飛ぶ



「阿部はオレが守る!」
と拳を上げて言った田島が、急に足下覚束なくふらついた。
「おいっ?!」
驚いた阿部が駆け寄るよりも先に、田島は地面に蹲る。
「どーした?!だいじょぶか?!」
慌てて近づけば、田島はぐったりと目を閉じている。長い耳も頭に沿うように垂れていた。
田島が力を振り絞るように口を動かす。
「……ねみい」
「ハァ?!」
田島は一言言っただけで意識を飛ばしてしまいそうだ。
その様子を見て、原因に思い至った阿部の片耳が、ピンとたつ。
「あっ!!おまえ、れたす食ったのか?!」
「くった」
即答する田島に阿部は呆れる。
(しんじらんねえ)
「なんで!れたすはダメだってあんだけ言われただろ!」
「だってうまいよ?阿部もくう?」
ぐいっと眠いとは思えないもの凄い力で腕を引っ張られ、寝転がったままの田島に引き寄せられた。
「くっ…」わねえよ、と続くはずの言葉は「わ」の形をしたままの口に押し込まれたものにかき消された。
思わず租借してしまって口の中に甘い葉っぱの味が広がる。
(そりゃうまいけど…)
れたすはダメだと、花井に何度も言い含められた。
れたすには、催眠薬のような効果がある。
少なくとも外では絶対に食べてはいけないものだと、強く教えられていた。

阿部が口にしたのは少量だったがすぐに眠気が襲い、かろうじて身体を支えていた両腕も限界で力が抜けてしまう。
不本意ながら阿部は田島の隣に俯せに小さく丸まった。
食べてしまったものは仕方ないし、田島が眠ってしまうなら自分が背負って逃げなければならないのに。
このままでは無理そうだ。
人間の畑のど真ん中で無防備に眠りこけることがどれだけ危険なことか、よくわかっている。

地面についた耳が遠くから近づいてくる重い足音を拾った。
嫌な予感に耳の毛が総毛立つ。
けれど、意識を保てたのはそこまでで、特にれたすに弱い阿部は逆らえず眠りに落ちた。




「なー」
昼飯の前に一仕事終えてしまおうと出てきた畑に、昨日まではなかった異変を見つけて、後ろから歩いて来てるはずの相棒を呼んだ。
「なー!なあってば!」
何度呼んでも返事が返ってこないことに痺れを切らし、榛名は地面から視線を外して振り返る。
もしかしたら居ないのかもしれないとも思ったが、散々呼んだ相手はすぐ後ろに居た。目が合うなりしれっと一言吐く。
「なに、それオレを呼んでんの?」
名前を呼ばれないことが気に入らないのか、その表情からは上機嫌も不機嫌も窺えない。
(ま、どーでもいーけど、そんなこと)
元よりひとの機嫌を取るつもりなど毛頭ない。
「そーだよ、秋丸!ちょっとこっち来てみろよ、おもろいもんがいるぜ」
「こんどは何」
榛名が見つけてくる「おもろいもの」がおもしろかった試しはない。
けれど、無視するわけにもいかなくて秋丸はため息をつきながら手招きされるまま近づいた。
(こないだだって…)
「ホラ!」
秋丸は、地面を見下ろした榛名が何故か自慢げに指を指す先を覗き込み、思わず額に手をやった。
「うわあ…」

そこには小ウサギが2匹、仲良く並んで気持ちよさそうに眠りこけていた。

生存本能に長けた野生の動物とはとても思えない。
秋丸は心底呆れて半ば投げやりに口を開いた。
「なんで揃いも揃ってこうもウカツなのかなあ」
顔にそばかすのあるウサギに至っては、腹を上に向けて眠っている。警戒心の欠片もない。
「で、どーすんの?」
「あ?」
「放っておくわけにもいかないでしょ」
「あー…」
榛名は自分で見つけておいて、いかにも面倒くさそうな仕草で頭をかく。
「まだ昨日のシチュー残ってたよな?」
「そうだね、ちょうど昼用に味を直そうと思ってたよ。せっかくだから量も増やそうか」
榛名と秋丸は昼食の算段を立てると、その前に片付ける仕事に取りかかった。



「さてと。そろそろお昼にしようか、榛名」
ひと通りの作業を終えた秋丸が榛名に声を掛ける。
「んあ」
榛名の適当な相づちに、秋丸は長いつきあい故の洞察力で肯定の意を汲み取った。

作業道具を片づけてから、子ウサギの様子を見るために大きな木の下へ歩く。
「しっかし、よく寝てるねえ」
仕事の邪魔にならないように、木陰へ動かした時でさえ起きる気配を見せなかった。
秋丸は、このまま運んでしまおうと相棒を振り返る。
「じゃ、榛名連れて来て」
「ハ?テメエの足で歩かせろよ」
「寝てるんだからしょーがないじゃない。重くはないでしょ」
タマネギとジャガイモとキャベツの入った籠で秋丸の手が塞がっているのを見て、榛名はブツブツと言いながらも、子ウサギへと手を伸ばした。
「まあこんなちっせーのが重いわけねーけど…」



猛烈な痛みに襲われ、阿部は覚醒した。

耳の付け根がジンジンする。
このまま耳が取れてしまうんじゃないかと思った。
阿部は、何が起こっているのか把握できず、ただ脅威から逃げたくて足をばたつかせた。そうして更なる恐怖に直面する。
(地面がない?!)
「あ!テメ!暴れんな!」
至近距離からやたら大きな声がして、さらに追い打ちをかける。
(にんげんだ!捕まったのか…?)
どうやら人間に耳を掴まれ持ち上げられているらしい。耳が痛くて、地面がないのが不安で、人間の手が怖くて、阿部はパニックに陥った。
けれど、動けば動くほど耳は握りこまれ、重力との反動で痛みばかりが増す。

「ああっ!?榛名!!またそんな持ち方して!それ典型的にダメな抱き方だってこないだ教えただろ!」
さっきとは違う声が聞こえたと思ったら、少し耳を掴む手の力が緩んだ。
そこを逃さず一層暴れてみせれば、恐ろしい手の中からすり抜けることに成功した。

結果、宙に放り出される。

「うおっ?!アブネ!!」
地面に叩き付けられると覚悟を決めて目をつむった瞬間、けれど来るはずの衝撃はなく、暖かなものに柔らかく掬い上げられた。
さっきまで怖くて仕方なかった大きな手は、思いの外繊細に動いた。
「ナイスキャッチー」
のんびりとした声が段々近づいてくる。
「やあ、起きたかい?」

後ろにいるにんげんとは別の、まるいガラスをのせた顔が阿部を覗き込む。
大きな影にビクリと阿部の耳が揺れた。
同時に、
(あれっ!?)
ハッとする。
(田島は……?)
慌てた阿部が辺りをキョロキョロ見回すと、意外とあっさりとその姿を探し当てることができた。
田島は、すぐそばの地面の上でまだ眠っていた。
阿部は二割の呆れと八割の安堵を込めた溜め息をつく。

榛名は、手をすり抜けた子ウサギを両手で受け止めるためにとっさに地面に置いたもう一匹を回収しようと、大きな歩幅で2歩戻る。
その足元をものすごい速さで動くものがあった。
榛名と田島の間に小さな体で腕を目一杯広げた子ウサギが躍り出た。

阿部が榛名の正面に回り、地面に転がっている田島の前に体を張って立ち塞がる。
(オレが守らなきゃ!)

目の前と言うには圧倒的に高さが足りず、足元に立ちはだかる小動物を見下ろす榛名の眉間に皺が寄る。
何故か反射的にむっとしたのだが、その理由は自分でもわからなかった。
未だ眠りこけている子ウサギを庇って立つ子ウサギは、人間が怖いのか、全身を震わせている。
それでも真っ直ぐに、きつい視線で榛名を見上げていた。
「チッ」
理由の分からない苛立ちを抱えて、それを隠すことなく盛大に舌を打った榛名が、足元の阿部へと手を伸ばす。

大きなにんげんの手がゆっくりと近づいてくる。
それまで気丈に榛名を睨みつけていた阿部も咄嗟に目を瞑る。
恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて仕方なかったが、今ここを放り出して逃げるわけにはいかない。
阿部は、竦みそうになる足に力を入れて、地面に踏ん張った。
また耳を掴まれて痛い思いをするのではないかと警戒して、自然と長い耳が垂れた。




*
次へ *


→ top