拍手リレー no.2
アイちゃんとタジアベ

 

++ 1 ++

毎週日曜日の練習には、特別メニューが追加される。

「今日のロードワーク当番は田島君ね!はい、クジ引いてちょうだい!」
夕方の休憩が終わる頃、いつものように監督がクジ引きの箱を取り出した。
「はーい!」
当番と名指しされた田島が元気よく返事をして、箱に手をつっこむ。 
マネージャーがお菓子の空き箱を再利用して作ったクジ箱の中には、1〜10までの数字が書かれた紙が入っている。
手に触れた十枚の紙の中から、田島は迷うことなくパッと一枚を選ぶ。
「ほらねー!」
取り出した紙を確認した田島が、みんなにその番号を知らせるために手で作ったサインは、あたかもVサインのように見えた。

上機嫌な田島を余所に、花井がそっと息を吐く。選ばれなくて良かったと、こっそり安堵した。
ロードワークに行くのが嫌なわけではない。ただ、田島を連れて行くとなると、余計な気苦労が増えることは目に見えていた。できれば、今日は行きたくなかった。
花井は、重責を免れたと同時に、九分の一の確立だった大役を引き当てたというか、引き当てられてしまったクラスメイトの様子を窺う。
阿部は、なんだか微妙な表情をしていた。
その表情は、嫌がっているのでも喜んでいるのでもなく、諦めとも期待とも違う、その表情に近い感情を探すとしたら、それは、悔しい、ではないだろうか。
悔しい?花井は、自分で出した結論に疑問符を付ける。
それは、あまりにもこの場に似つかわしくない感情で、不思議に思った。
視界の隅で阿部が歩き出す。花井の思考を遮るのに充分な田島の大声が響いた。

「阿部ー!な!言っただろ!」
そう言って手招きをする田島に、阿部は苦く笑った。

日曜日の特別メニューとは、アイちゃんの散歩を兼ねたロードワーク。
平日は、監督がバイト先から直接グラウンドへ来るため、愛犬を連れてこれないが、朝から練習のある日曜には、大抵連れてきて、
マネージャーが時間を見つけて構っていることが多かった。
それを横目で見ていて羨ましがった部員から、散歩に行ってもいいですか?という意見が出たのをきっかけに、練習メニューに組み込まれた。
毎週一人ずつ、散歩当番が持ち回りで回ってくることになっている。
当番の者がクジを引き、背番号を引かれた者と二人一組で外に出る。
二人一組なのは、散歩を兼ねているため一人ではトレーニング効率が悪いことや、部員内のコミュニケーション強化など、細かい理由は色々あるが、
一番大きな理由は、犬が苦手な三橋のための救済措置だった。

阿部が篠岡からシャベルやビニール袋などが入っているお散歩セットを受け取った。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
笑顔で送り出す篠岡に、おお、と答えて、背を向ける。
グラウンドの出入り口で、田島は子犬の首輪にリードを付けていた。
阿部が近づくと、田島は振り返り、笑う。
「よっし!いこーぜ!」
つられて、阿部も笑った。
「おお」

 

++ 2 ++

 

++ 3 ++


散歩コースの途中にある広場へ着くと、アイちゃんのリードを外す。
ここで走り回るはしゃぎ盛りの子犬を必ず視界に入れながら、筋トレを行う、というのがロードワークの主だった。
集中を分散できるようにするためのトレーニングだと説明された。集中を途切れさすことなく、周りの状況を把握して反応するためのトレーニングになると言う。
「うし!始めっか!」
田島は阿部が持っているリードの先の金具を外して、腕のなかで柔らかい毛を撫でてから、手を離した。
この広場の中だったらどこへ行ってもいいことを知っているワンコは、元気よく走り出した。
阿部と田島は、並んで筋トレを始める。
けれど阿部は、さっき田島が持ちかけたカケが気になり、筋トレにも犬にもなかなか集中できずにいた。


「オレけっこう運いいんだよね」
阿部は、休憩時間に田島が言ってたことを思い出していた。

「けど、クジ引きって運よりも、引きのほうが重要じゃねえ?」
「は?」
結論から喋る癖のある田島の話は、何度か訊き返さなければ、意味の分からないことがよくある。
「ほら、三橋ってさ、どう考えても運がいいとは思えないじゃん」
急に飛んだ話題に、ついていくのは難しい。阿部はただ鸚鵡返しに、呟くことしかできなかった。
「三橋?」
それは聞きようによっては酷い言葉だったが、田島が使えば驚くほど悪意がなく、ただの事実として捉えることができる。
「そんで、先週あいつ1番引いただろ?あいつのああいうとこスゴイと思うんだよね」
先週、ロードワークの当番だった三橋がクジを引いたときに1番を引いた。それまでは、十分の一の確率の自分の背番号を引いた者が居なかったため、本人の番号を抜いていなかった。
その時は「三橋はほんとに1番が好きだな!」と言った田島の発言で、和やかな笑い話で終わって、すぐに1番の紙を除いた箱から、三橋がクジを引き直した。
「三橋って、頑固で強情で辛抱強くて、意外と自分のことは力ずくだよな」
阿部はそこでやっと、なるほど、と思う。
ロードワークの相手を選ぶためのクジ引きで、自分の番号を引いてしまうというのは、淋しいことかもしれない。
けれど、三橋はマウンドを表す1という数字に並々ならぬ執着を持っていて。
つまり、三橋が1番を引くという結果は、`運はよくないけど引きが強い`という資質によるものだと田島は言いたいのだろう。
たとえば、福引きの抽選で、三等の自転車が欲しかったのに、一等の温泉旅行が当たってしまった場合は、`運はいいけど引きが弱い`という状況なのだろう。
そして、最初の結論に戻る。
「まあ、そうかもな」
阿部の相槌は、三橋の話へともクジ引きの話へともつかない。
田島は、気にした風もなく話を続ける。
「オレ自分の引きの強さってよくわかんないけど、弱くはねーな、って思ったことがいままで二回あるんだ」
常に自信の塊のような田島が、こんなふうに自分について曖昧に話すのは珍しいな、と阿部は思った。
「へえ」
立ち上がって阿部の正面に立った田島が人差し指を突きつける。

「見てろよ、今日で三回目だ!」

言い切った田島に阿部が絶句した。ちょうどその時、監督が田島を呼んだ。


「オレ、アイちゃんと遊んでくる!ちょっとくらいならいーよな!」
隣に居たはずの田島が駆け出して、阿部は我に返った。
「あ!おいっ、筋トレは?!」
既にだいぶ遠くに見えている背中に、慌てて呼び掛ける。
「終わったよ!阿部も早く終わらせて遊ぼーぜ!」
振り返った田島がよく響く声で答えた。田島は阿部が集中できずにいるうちに、ノルマをすっかり終わらせてしまったらしい。
阿部は反省して、もう一度最初から数を数えることにした。
けれど、すぐにさっさと片づけてしまわなかったことを悔やむことになる。
アイちゃんを追わなければならない視界には、常に田島が入り、さらに落ち着かない。
それでもなんとか、筋トレを終わらせた。いつもの倍の疲労感は、気のせいではないはずだ。

 

++ 4 ++

 

 

++ 5 ++


田島はすっかり種を植える気で、手に種を持ってキョロキョロし始めた。
掘り当てたひまわりの種を宝物のように大事そうにかかえて田島は喜ぶ。
それを見て阿部は、(地面に埋めるなら自分で植えりゃいいじゃねーか)などと考えてしまったことを後悔した。
それから、ざっと広場を見渡す。
細かく手入れされている感じはしないが、それでも管理されている公園だから除草剤でも撒かれたら一発だろう。
「ちゃんと咲かせたいなら、学校かお前ん家とかのほうがよくないか?」
阿部の言葉に、田島は少し考えるように広場を見渡した。
「あー、そっか、そうすっか」
田島は納得したように頷いて、手に出していた種を袋に戻してから、もう一度手を袋に入れて、中から二粒取りだした。
何をするのかと、阿部が見ていると、田島はとても自然な動作で一つを口に放り込んだ。
「っおい!!」
あんまりびっくりして言葉が出ない。
「おっ、うめー!甘いよ、阿部も食う?」
「食わねーよ、つうか何やってんだよ?!拾い食いみたいなマネすんな!アブネーだろ!!」
「手紙付けて種埋めようとか考えるヤツはイイヤツだろ、平気だよ。アイちゃんにお礼しようと思ったんだけど、マズかったらかわいそうじゃん」
田島は、残りの一つをてのひらに乗せてしゃがむ。
「ほら、うまいからダイジョブだぞ、ありがとな」
田島が差し出したひまわりの種に、子犬はシッポを振って喜んだ。

でたらめなように見えて、田島のやる無茶には、大抵ちゃんとした理由がある。
あるのだが、その理由と行動を結ぶ過程が田島独特の常人の思考を一足飛びにしたものだから予測がつかない。
さらに、思いつきから実行までの判断が恐ろしく速い。故に、田島の奇行を事前に止められる道理もない。
「…そろそろ戻るか」
結局、阿部にはそれくらいしか言うことはなかった。


「あ!待てよ、阿部!!」
歩き始めた阿部の背中に田島は慌てて声をかける。
「ん?」
呼ばれた阿部が脚を止めて振り返った。その間に田島は阿部の目の前まで距離を詰めた。
「カケしたじゃん!オレ勝っただろ?な!」
「あ、ああ」
少し上の位置にある阿部の顔を田島は覗き込むように真っ直ぐ見る。
「なんでも言うこと聞くって約束したじゃん!」
「おー、した。なに、いまここでできること?」
「うん!いまここで!!」
阿部の眉間にほんの少し皺が寄る。阿部は一度言ったことを曲げるような性格ではない。これは、嫌がっているのではなく、何を言われるのかと警戒しているのだろう。
「…なんだよ?」
「あのな、あのな!」
実際、賭けを始めたのはただその場の勢いだったが、田島には、ちょうど阿部にしてもらいたいことがあった。
「今日の朝、阿部ひとりでアイちゃんと遊んでただろー?」
「なっ!お前見てたのか?!」
サッと朱の走った頬を見ながら、田島は今朝たまたま見た光景を思い返した。
両手で子犬の頭をわしゃわしゃ撫でていた阿部は、柔らかく笑って手の中の小さな茶色だけを愛おしそうに見ていた。
(ちょっと羨ましかったんだ)
「あれがいい!オレにもアレやって!!」
「………」
「………」
阿部がためらっているのがよくわかった。それでも、田島は辛抱強く待つ。
じっと顔を見ているのも余計なプレッシャーを与えるだけだから、少し俯いて視線を外した。
視線の先で、決心したように一瞬強く握られた拳がパッと開いた。
阿部の手が頭に伸びてくるのが分かって、顔を上げる。それで驚いた。
少し目を離しただけの阿部の顔は、めちゃくちゃ赤かった。
田島は、そこまでの無理を言った覚えはなく、困惑する。
「阿…」
呼びかけようとしたのと、阿部に頭を掴まれたのが同時だった。
「え?」
思っていたよりも、阿部の手の位置が低い。
なんだかわからなくてボーっとしているうちに、阿部の顔が近づいてきていた。

額に軽い衝撃があったのは一瞬で、その一瞬近すぎて見えなかった阿部の顔がすぐに視界に入って消えた。

「え?」
何が起こったのかわからないまま、田島は立ちつくす。阿部の気配が遠ざかるのにさえ反応できなかった。
留まるべきか行くべきか、迷った子犬が足下で鳴いた。

 

 

* end *

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