昼休み、バタバタという足音と共に、すぐ後ろの花井の席に人が近づいてくる気配を背中で感じた。
「花井ー!ちょっとなんとかしてくれよー!」
その水谷の声音は、まるで猫型ロボットに泣きつく眼鏡の小学生のようだった。
なんだか面倒くさそうな雰囲気に、机に突っ伏した体勢を起こすことなく、このまま寝てしまおうと決めた。
「なにが?」
花井が人の良さそうな声で応対した。
「あれ?阿部寝てんの?」
「ああ、なんか昨日夜更かししたみたいだよ」
花井に用事があって来ていた栄口が余計なことを言う。
「やっべ、うるさかったかな」
そう言った水谷の声はあからさまにトーンダウンしていた。
「で、なんだよ?」
話が逸れたなら放っておけばいいのに、根っからお人好しな花井が最初の話を蒸し返した。
「あ、そうそう!田島だよ!!」
水谷が小声で発した単語に、心臓が跳ねた。
寝ようと思ってたのに、背中で会話を追ってしまった。
「田島?」
「えーと、田島って声でかいよね」
「は?いまさらなんだよ、悪いことでもないだろ」
「あーーうーーあーー」
「どうしたの?言いにくい話?」
「うーーん……ちょっと待って、言葉を選ぶ」
「あははは、ゆっくりでいいよ。ね、花井?」
「ああ、うん」
「……あ!!デリカシーだ!!デリカシー!」
「デリカシー?」
「うん、デリカシー、足りなくない?田島って」
「デリカシーねえ……、足りないとしてもそりゃオレにどうこうできる問題じゃないだろ」
「ああっ冷たい!」
「なんか具体的な話があるんじゃないの?何かあったからこういう話になってるんでしょ?」
「え、あ、うん」
「確かに田島は騒々しいところがあるかもしれないけど、あの性格は貴重なムードメイカーだし、田島だって騒いじゃいけない場面では騒がないじゃない」
「それは、そうなんだけど……。あの下ネタは、どうにかなんないかなあ」
元から小声だった水谷がさらに声を低めた時、正反対に明るく高めの声が割り込んだ。
「あ、水谷君」
「え?!」
急に呼ばれた水谷は、篠岡の声に明らかに動揺した。
「さっき見てたよー。災難だったねー。田島君らしいけど」
そう言った篠岡が苦笑交じりなのが声を聞いただけでもよく分かった。
「ええ!!見てたの?!あ、思わず逃げて来ちゃったけど、田島怒ってなかった?」
「あはは!大丈夫。口をとがらせてたけど、笑ってたよ」
友達に呼ばれた篠岡が花井の席の近くを離れてから、水谷が大きくため息をついた。
「みんなが、しのーかみたいに田島に耐性があるわけじゃないんだよね……」
「まあ、なんか大体わかったけど、一応聞くよ……」
力無くそう言った花井は、詳しい話を聞く前から水谷に同情したようだった。
促されて水谷が話し始める。
「今日は委員会の当番があって、たまたま九組の女子と一緒だったから、教室まで一緒に帰ってきたんだ」
**
水谷が九組の前の廊下で立ち止まった時、教室の中から田島に呼ばれた。
「おー!水谷じゃん!いいとこに来た!!」
田島の声はでかい。教室のほぼ中央から廊下へ向けて大声で話し掛けた。
「ん、田島?なーに?」
「あっおい、田島!やめろ!!」
水谷が田島に近づこうとするよりも前に、田島は日常会話と変わらないトーンで、むしろ距離の分通常よりも大きな声で話し出す。
直前の泉の言葉がもの凄く気になった。
「なーなー!!水谷は、エーブイ女優の声で勃つ?ムグッ」
うしろから田島の口を塞いでくれた泉の努力も一歩及ばず。
水谷は気付いたら、間教室ひとつ分の距離を瞬間移動くらいのスピードで逃げてきていた。
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「うわあ……」
それは、水谷の話を聞いていた二人の感想、そして全くの同感だった。
さすがに栄口でもフォローできない。
「災難だったね……」
さっきの篠岡の表現がまさに的を射ていた。
「気の毒だと思うし、他人事だけでもないし、何とかしてやりたいけど、何とかっつってもなあ」
「田島に悪意とか悪気とかが欠片もないってとこが、いかんともしがたいよね」
「あいつの下ネタを封印しようと思ったら、根本的に口を塞ぐくらいしかないよなあ」
「そもそも沈黙と田島って反意語だもんねえ」
「たしかに!田島って五分黙ってるのだって珍しいよな!授業中とかは別として」
「それが大げさじゃないってところが恐ろしいよね」
「あ、しゃぺらない田島ってちょっと見てみたいなー」
そのまま三人の会話は、どんどん基軸からズレていった。
もともと水谷も混乱していただけで、本気で田島をどうにかしてくれとは思っていないだろう。
軌道修正を図る者もなく、会話は続く。
午後の授業までは、もうしばらく時間の余裕があった。
体勢を変えないまま、少し寝ることにする。
ただ、最後の水谷の発言だけは聞き捨てならなかった。
ここで実際に反論するのは墓穴を掘るだけだから、グッと内に堪えたけれど。
無責任なことを言うな!!
黙りっぱなしの田島ってのが、どれだけ厄介か知らないくせに。
2005.12.08.
冷やかし程度に10のお題F−3 沈黙
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(その昔)どんからもらった(のにスルーしていた)リクエスト
「7組+栄口君が田島のことを語るはなし」
阿部が入ってなくてすまん…。その代わり千代ちゃんを入れたよ!(笑)