※ご注意下さい※
榛名誕と言いつつ、一切榛名を祝っていません…
榛名は登場さえしません…
よく考えたら、こんなのを拍手に置いてたのは、暴挙だったとしか思えない。
心構えなく読んでしまった方には、申し訳なく。
来年は、ちゃんとお祝いしたいと思います!(遠)
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今日の阿部は、変だ。
朝練の時は、特におかしいところはなく、いつも通りに投手に行きすぎた愛を注いでいた。
二限目の休み時間、移動教室のついでにクラスに顔を出した栄口が、「阿部の様子がおかしいけど、どうかした?」と言った。
その時オレは、「そう?」とだけ答えた。
見れば、阿部は眉間に皺を寄せて仏頂面をしていたけれど、それが珍しいことだとは思わなかった。
三限目の休み時間に、阿部に話し掛けてみた。
わざわざ栄口が口に出して言った、ということが気になっていた。彼は、よくひとを見ている。
特に用があったわけでもなかったが、世間話でもして様子を見ようと、話し掛けた。
昨日見たテレビの話と、今朝学校に来るときに見た、たんぼに突っ込んでいた車について話してみたが、
阿部は、話を聞いているのかいないのか、あーとかおーとか言うだけで、心ここにあらず、といった感じだった。
けれど、よく考えたら、オレに対する阿部っていつもこんな感じかもしれない、ということに気付いた。
機嫌の悪いときには、もっと邪険にされることもあるから、今日は、いい方の対応だったような気もする。
そんなわけで、栄口の言葉を裏付けることはできなかった。
変だと言われれば、変かもしれないが、いつも通りといえば、いつも通りだ。
もっと言えば、阿部は、少しおかしいくらいが普通だとも思っていた。
明らかにおかしなことが起きたのは、昼休みだった。
最近は、初夏の心地いい気候が続き、用事のない野球部員は自然と屋上に集まり、一緒に昼飯を食べていた。
速攻で自分の弁当を平らげた三橋が、ほとんど箸の進んでいない阿部を見た。
「あ、あの、あ、あべ、くん」
だいぶ小さな声だったけど、三橋は、きちんと顔を上げて阿部の方を見て声を掛けた。
それに阿部は、気付かなかった。
その場にいた野球部員全員が、我が目を疑った。
普段、阿部が三橋の声に反応しない、なんてことはありえないはずだった。
ともすれば、三橋が声を発する前に反応するくらいの人離れした対応をする阿部が。
自分を呼んだのではなくても、三橋の声がすれば振り返る阿部が。
三橋の呼びかけに応えなかった。
これは、おかしい。
ここで初めて、全員の見解が一致した。
阿部の返事がなく、俯いてしまった三橋以外の全員の視線が阿部に集まる。
阿部は、箸を持ってはいるが、それを口に運ぶ事はなく、箸は弁当の上をただ行ったり来たりしていた。
目線は、50cm先の床を見る様な感じで下向き気味に、やはり眉間に皺が寄っている。
誰もが声を掛けてもいいものか、迷っていた。
少なくともオレの頭の中では「触らぬ神に祟りなし」ということわざがぐるぐる回っていた。
「うう…」
沈黙を破ったのは、三橋のうなり声だった。
そうだった、こっちのフォローもしないと!
既に半べそをかいている三橋に、隣にいた泉が何か話掛けた。
「ただ聞こえなかっただけだから、大丈夫だぞ。なんか考え事でもしてんじゃないか?」
三橋は、そろりと顔をあげ、泉を見る。
三橋のことは、泉に任せておけば大丈夫そうだった。
次は阿部か。
部員たちはそれぞれに目配せしあい、結果的に、キャプテン何とかしてくれ、という視線が花井に集中した。
その視線に耐えきれず、キャプテンは果敢に前へ出る。
「おい阿部、どうかしたのか?」
それでも阿部の反応はなく、花井が更に近づき、阿部の目の前で手を振った。
「おい?阿部?」
「は?」
やっと反応を返した阿部に、周囲からわずかに安堵の息が漏れる。
「さっきから呼んでんだけど。大丈夫か?」
阿部は、そこで初めて自分が全員の注目の的になっていることに気付いたようで、ばつが悪そうに瞬きをした。
「あ、悪りぃ。ちょっと考え事してて」
「何かあったのか?」
花井は持ち前の面倒見のよさから、自然に深追いをする。
「いや、大したことじゃないんだけど。気になって…」
そう言った阿部を心配そうに三橋が見上げた。阿部は、今度はその視線に気付いた。
少し逡巡したように口ををぱくつかせたが、意を決したように言葉を繋ぐ。
「朝、時間を確認しようと思って、携帯を見たんだ。そしたら、日付が目に入って」
と、阿部は一度言葉を切る。
そして、どこか遠くを見るような表情をした。
「今日って何かあった気がすんだけど、それが何なのか思い出せねーんだ」
「…え?それだけ?」
思わず、声に出してしまっていた。
阿部がギロリとこっちを見る。けど、それも一瞬のことで、すぐにぷいと視線は外れた。
「それだけ、で悪かったな。一回気になると、思い出せるまで引っかかるんだよ」
拗ねたようにそう言う阿部は、自分でも困惑しているようだった。
そのまま流れた少し気まずい空気を、軋んだドアの音が遮った。
「あーやっと昼飯だー!」
ドアの隙間から聞こえたのは、底抜けに明るい声。
「田島、課題終わったのか?」
花井が鳴り物入りで屋上へ躍り出た人物に声を掛ける。
田島は、現国の授業中に注意点が三点溜まってしまい、昼休みに課題を課せられるという重い罰則のため、昼食時に遅れて登場した。
「終わったー!」
少しはこたえているかと思いきや、本人は反省したふうもなく、ピースなどしてみせる。
「なに、どーしたの?なんか静かじゃね?」
田島は、流れていた微妙な空気を敏感に察知し、キョロキョロと辺りを見回した。
「なになに、水谷、どーしたの?」
たまたま、一番近くにいたオレが名指しされてしまった。
オレかよ…。
「いや、阿部がさー…」
阿部を窺いつつ、田島に状況説明をする。
見れば、阿部は弁当をしまい片膝を抱え込んでおり、再び周囲をシャットアウトして、考え始めたようだった。
一通りの説明が終わると、すかさず田島が口を開く。
「へえ。ま、思い出せないんなら、どうでもいいことなんじゃね?」
ひどく軽い調子で田島が言った。
阿部の気を紛らわせようと、田島なりの気遣いだったのかもしれない。
オレもその意見には賛成だった。だから軽口を叩いた。
「そうそう、考えるのやめたら思い出すかもよ?」
言いながら、覗き込んだ阿部の表情に、オレはその場で凍り付いた。
目があったわけでもないのに。
我ながら情けないけれど、ビクリと肩が揺れた。
阿部は、田島を睨みつけていた。
オレも阿部にはよく睨まれるけど、それとはまた種類が違うというか、段階が違う。
睨まれてるのがもしもオレだったら、きっと一、二歩後退ってしまっただろう。
けれど田島は、揺らぐことなく、真っ正面から阿部の鋭い視線を受け止めていた。
あまつさえ、間の伸びた声を出す。
「阿部ー?大丈夫か?」
その声に、阿部の表情が変わる。
「あ?ああ…」
「すげー怖い顔してるぞー」
そのへんの認識はちゃんとあるのか、ということに感心した。
「ハ?」
鈍い阿部の反応は、さっきの表情が無意識だということを告げていた。
それがまた返って恐ろしかった。
五限目の数学の時間。
阿部は指名されて、黒板に書いてあった問題を解いた。
数式は合っていたのに、途中で計算ミスをして、バツをもらっていた。
阿部が得意な数学で問題を間違えるところを初めて見た。
放課後の部活。
さすがに集中していたが、その集中の仕方が異常だった。
何かを振り切ろうとするかのように、一心不乱に練習に没頭していた。
ハタから見ていると、痛々しいほどに。
今日の阿部は、変だ。
まるで、とても大切なものをどこかに置き忘れて来てしまったかのように。
それとも、とても大切なものに置き去りにされてしまったかのように。
時折、ひどく心細い表情をする。
彼が忘れてしまったことが、いっそ、どうでもいいことならば、よかったのに。
昼間の田島の言葉を思い出す。
オレは、他人事ながら真剣にそう思った。
思い出す、思い出さない、以前に、それを考えていること自体に彼ががんじがらめに囚われている気がした。
それでも彼は、きっと考えることをやめられない。
オレは、無力で何もしてやれないけれど、せめて希うよ、
あの田島の言葉が、呪文みたいに彼を守ることを。
田島の声が、いまの彼に響くといい。
2005.05.24.